<まずはポンペイ遺跡についてざっくりと>
ポンペイは紀元前6世紀にはすでに都市国家レベルに発展していました。
紀元前1世紀にはローマ帝国の支配下となり、ローマへ物資を輸送する中継地、商業・港湾都市として繁栄していたそうです。
・・・・・・しかし・・・・・悲しいことに・・・
紀元79年8月24日(大ざっぱに言うと約2000年前)、ヴィスヴィオ山が突然目覚め大爆発、この大参事でポンペイは高さ6m以上の火山灰層の下に埋没、この悲劇の瞬間の町の暮らしぶりをそっくり閉じ込めたまま、今から約200年前、奇跡的に再び世にその姿を現しました。
17:15 ポンペイの遺跡観光
【世界遺産】
19:15 ナポリへ(約37㎞)
20:00 ホテル着(ヨーロッパグランド)
アリーナ門からまずは遺跡のハイライトと呼べるフォロ周辺へ、アポロ神殿の先にはヴェスヴィオ山がそびえ、いにしえのロマンを感じさせてくれる。
遺跡内はかつての石畳に馬車の轍(わだち)の跡が残っている。修復中の部分も多くちょっと歩きずらい。日陰も少ない。ご覧のような晴天だったので、夕方にもかかわらず暑いのなんの。サングラスと帽子は必携である。もし真夏に来たらどうなるんだろう! 足早でも主な観光スポットを見学するには、2時間程度必要だ。
約2000年前にこのような都市国家が存在していたという事実に驚き、当時の高度な土木・建築技術に驚嘆し、一瞬にして都市を飲み込んでしまった自然の恐ろしさを、改めて考えさせられました。
夕方とはいえ、炎天下にアポロ神殿やフォロ周辺に点在している見所の観光は結構キツイ!何がキツイかというととにかく暑いのです。おそらく私たちが行った日は、天気が良すぎたせいだと思います。(贅沢な悩み)
ということで、日陰を求めながらの観光と相成りました。
約2000年前ヴェスヴィオ山の大噴火で地中に埋没したポンペイには、「ポンペイ・レッド」と呼ばれる赤を基調とした見事なビーナスの壁画が残されている。私達はその見事な「ポンペイ・レッド」を一目見るために、エルコラーノ門を出て海岸に面した場所に建つ「秘儀荘」に向かいました。
「ディオニュッソスの秘儀」への入信の様子を描いたフレスコ画は、一見の価値があります。当時このあたりに流行したディオニュッソス信仰にかかわる秘密の儀式の様子が、克明に描かれています。背景は「ポンペイの赤」で描かれ、裸の少年が儀式の作法を読み上げるシーンから始まる連続絵は、とても紀元前70~60年前に描かれたものとは思えません。
秘儀荘は人気があり、常に大勢の観光客で賑わっていてゆっくりと鑑賞しにくい場所だそうですが、私たちがたどり着いた時は遅い時間だったので、秘儀荘を独り占め状態でした。なお、秘儀荘のフレスコ画を撮影する場合はフラッシュ禁止です。
ポンペイの遺跡の数々、そして秘儀荘もじっくり鑑賞でき十分満足して、再びバスに乗ってナポリの宿に向かいました。
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